写真の日

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6月1日は土門拳氏の展示を拜見した後に折しも夲日は寫眞の日と云ふ事で中野長者橋から新宿ステンジヨに至るまで歩ゐて數枚レリヰズしました。
山手通りから神田川を渡るとそこは西新宿5丁目界隈となりますがつゐ最近までは角筈夲村と云ふ地名だつたさうです。
遠く新都庁を望む旧角筈夲村には同じ新宿區でも副都心部とは違ひ未だ廣ゐ空が殘つてゐました。

そろりそろりと歩けども古の風情は皆目見當たらず暗渠と化した神田川支流に沿つて立つボロ屋と石橋に僅かなる思ひを馳せるに留める樣相に少し殘念な面持ちを引きずりながらも歩を進めました。
すると忽然と現れた庚申塔に胸を躍らせ將又比類なき狹小地に建つ電髮屋の商ゐに要らぬ心配をしたり眞新しゐレジデンスの奧に取り殘される樣に鎭座する石佛にギヨツとしたりと中ゝ面白き街で或る事を見つけたりとなりました。
然してこれ以上の風情と云ふ風情も無く古の花街を抱ゑた旧十二社界隈となる西新宿4丁目へ向かひました。

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今の新宿四丁目界隈は十二社と云ふ地名だつたさうです。
現在の新宿中央公園の西側に建つ高層な都營住宅邊りに池が有つたさうで歌川廣重の浮世繪にも描かれた程の景勝地だつた樣ですが今では叉手もその痕跡も見當たらぬ程に建物と共に風情まで壞されて居りました。
十二社通りを代ゝ木を向いて緩やかな上り坂歩いて居りますと左手に高台へ登る階段が見えてきました。
さては池に降りる小路であつたらう此階段の中途か天邊には趨勢を誇つた花街の痕跡が有ると踏んで揚ゝと登つて行きましたがこれと云つた艷めかしさもなく氣拔けするばかり。
但し何やら曰く有りげな住居の塀を見付けこれは芸妓屋か特殊飮食店か將又待合の名殘かと胸を踊らせ暫しニヤついておりましたが住人の氣配が見えたので止む無く現実に戻り又歩を進めました。
途中二件程ですが旅莊が有つたので此れは若しやすると古の芸妓屋から續く三業地獨特の名殘では無いか等と探偵然とした思考も巡りましたが帝都の意向に嵌つてしまつたのか十二社は地名と共に西新宿へすつかりと變貌してしまつた樣です。

乘合バスの停留所や將又坂の頂きから都庁を顧みると緩やかな下り坂の底は確かに谷戸らしき面翳や土留らしき大谷石の石垣と燃しやこれは旧湖畔の周回路と思しき立入禁止の砂利道等も見られ成る程ここに池が有つたのだらうと考へられる地形も見られました。
さて此れと云つた收穫もなく新宿ステンジヨへ向かう途中は新宿中央公園を通るのが早道なので帰り掛けの駄賃に「寫眞工業發祥の地」を詣で帰路へ着いたのでした。

※写真は全てα6000とSIGMA Art 19mm F2.8 DNで撮影

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